【メンタル】「死にたい」という感情を思い出せなくなるまでにやめたこと

メンタルヘルス

こんにちは

浴槽のラッコblogへようこそ!

今日は10歳から25歳までの15年間ずーっと死にたかった私が「死にたい」という感情を思い出せなくなるまでにどんな考えや行動をしてきたかを書いていこうと思います

今回のテーマは死にたいを思い出せなくなるまでに「やめたこと」にフォーカスしていきたいと思います

やめたことその1:親にとってのいい子でいること

まず1つめは親にとってのいい子でいることをやめました

小学1年生のときに家庭訪問に来た担任の先生から「どう育てたらこんないい子に育つんですか?」と母が聞かれていて、私はそれがとても嬉しかったんです

いい子=褒め言葉だったんです

7歳の私にはそれは立派であると認めてもらえているという実感を得られる言葉であり、母や父にとって常に誇らしい自分でありたかった気持ちがありました

だから、いい子であることに自分の価値を見出してしまった

今振り返ってみると親が喜ぶような受け答えや選択を無意識にしてしまっていたんだと思います

私の両親は私に対してそうあれと望んだことはなかったはずなのに

自由にのびのび育ててくれた両親のもとに生まれても、子どもの性格や思考のクセによっては自縄自縛な人生を歩むこともあるのです

片親になったことで私のいい子であろうという考えはより色濃くなり心の影も大きくなっていきました

「絶対に片親だから・・と言わせない」

そう誓い、グレたなんて言われないように真面目で優しく一生懸命な生徒であることに命をかけていました

なにより、そう振る舞うことで母を守りたかったのと捨てられたら・・・という恐怖心を消したかった

自ら望んでいい子に固執してしまったのです

そうして守った自分の居場所や周りからの評価に安心してしまうと、今度はいい子でいることをやめるのが恐ろしくて仕方がなくなりました

私は今でも誰かに対して「むかつく」「うざい」などの感情を抱けません

そういった感情を他者に向ける自分はいい子ではない、と判断してしまうためです

それゆえ理不尽に当たられようと誰かに雑に扱われても相手に対して批判できずに苦しんでいます

死にたくなってしまう人は他者に矢印を向けられず自分にナイフを突き刺してしまうから、という説もあるのではないかと私は考えています

他者に対して「あいつ嫌い!」「ムカつく!」と言えている人は心も元気そうな人が多いのはそういった背景もありそうな気がします

ちなみに反抗期も私にはありませんでした

抑圧したのかもともとないタイプの人間だったのか思い出せませんが抑圧するのはおすすめできません

巡り巡って心に溜まった毒は自分を蝕んでいくので

子育てを終えて自分の教育に問題があったのではと悩む方も読んでくださっているかもしれません

自由にのびのび育てていたのに子どもはいつも苦しそうだったな・・・

そう感じている方は、教育の仕方ではなくお子さん本人の気質によるものである可能性もある、ということをどうか頭の片隅に置いておけますように・・・

私がいい子をやめたときは両親に「生活保護を頼りに実家を出て一人暮らしをする」と言いました

実家を出て一人暮らしをしなければ私は一生死にたいままだ、と確信していたから出た発言でした

衝撃的でしょう

いい子でいればいるほど自分の意見を表明し始めたとき、その表明の内容は規模が大きく過激なものになる可能性があるのでそれも含めていい子でいようとするのはおすすめしません

溜めに溜めてこんなことを言い出すほうが親にとっても負担大ですから、それなら最初からいい子になんてなろうとせず程よく我を通したほうが良いと思います

やめたことその2:要領のいい人と比べて「あの人と比べて自分は今までなにをしてきたんだろう」と焦ること

この世界には事業で大成功して莫大な富や名声を得た人や、大手企業に就職し輝かしい経歴を持つ人など、「人生に成功している」と思わざるを得ない人たちがたくさんいます

フォロワーがたくさんいるインフルエンサーや誰もが羨む人気者・・・

同じ人間のはずなのにそうではない自分とそういう人たちを比べると「自分は何も成し遂げていない」「何も持っていない」と今まで何をしてきたのかと焦ってしまう

今まで過ごしてきた時間が生産性のない無駄な時間だったような気がしてすべてが嫌になる

そういう思考になると自分の人生がゴミのように思えて「やり直したい」「やり直したいけどできないからいっそもうこんな人生終わりにしたい」という思考に流れがちになります

自分とそういう人を比べて死にたくなる

死にたくなる時点でその比較にいいことは1つもありません

そもそも名声や富=成功という考え方はどこから来たのか考える必要があるかもしれませんね

上には上がいるのだから誰かと比べ始めたらそれは一生一番になれない地獄のレースが始まります

やめよう、そんな自分のことを嫌いになるようなことは

やめたことその3:ちょっと心が不調になったとき、すぐに病気なんじゃないか?病的なものなんじゃないか?と物事を深刻にすること

誰でも調子が悪いことはあります

やる気が出なかったり落ち込みやすかったりすることは生きていればよくある普通のことです

しかし、そういったちょっとした不調を感じたとき、「うつが再発したのかな」「食べすぎちゃっているのは過食症なのかな」「眠れないのは不眠症?」

と、この不調は病的なものなのではないかと深刻と捉えてしまうことはありませんか?

こういった小さな不調を過度に大事(おおごと)にしてしまうのは修正したほうがよい思考のクセかもしれません

病的なものであると考えてしまうと、起きていることは本当は大したことがなくてもものすごく悪い状況にあると錯覚してしまいます

調子が悪いことを病的なものと判断して過度に過敏になるのはやめましょう

やめたことその4:休養=1日中横になって休むことだと考える

心が不調で休学や休職をし休養することになった

体も心もしんどいからとりあえずベットやおふとんの中で寝て過ごすことにした

これを繰り返せば休養したことになっていつか元通りになるはず・・・

そう考えて実行している人もいるかもしれませんね

しかしそれはおすすめできません

実際にそう過ごしてみたけど全く良くなった感じがしない、という人もおそらくたくさんいるでしょう

横になって過ごしているだけでは元気になって活動していくための体力はつきません

外界と繋がる術が遮断されるため一人ぐるぐる思考に陥ってどんどん落ち込む、なんて悪循環にもつながりやすいのでなおのことおすすめできません

死にたいくらい現状に行き詰まっているのならそれこそ現状に留まるのは危険です

できるだけ元気だったころと変わらないように活動する努力が死にたい現状を打破する1つの方法です

誰かと遊びに行くのはハードルが高ければ一人で出かけるのもいいですね

疲れたらすぐ帰宅できますし気を遣う余裕がなくてもいいですから

私はよくスタベに行って好きな飲物を飲んで帰って来る、みたいな簡単なことからこなしていました

休養とはなんぞや?と思っている人はいい機会ですから休養のしかたを勉強するのもよいですね

私は休み方は壊滅的に下手くそだったので本屋さんや図書館で自身の病気のことや休養についての本を読んで正しい知識をつけることも1つ意識しながら過ごした期間でした

今でも頑張りすぎてしまうことはありますが休養を知らなかったときはすぐ死にたくなっていたので学んでおいて良かったです

休養の知識は一生物になりますし必ず役に立つ知識ですのでぜひ勉強してみてください

やめたことその5:世間の「〇〇しないと大変なことになるぞ」という脅しに掻き立てられてなにかをしたり誰かのためになにかをする

これは私の中ではかなり効果がありました

私はインスタなどで流れてくる「20代のうちは使える時間をすべて勉強や知識をつけることに使え」みたいな意識高い系の投稿や動画に引っ張られ、特に使う予定もない英語の勉強や資格の勉強に追われる生活を送っていました

自分のやりたいことや娯楽に充てる時間を自分から取り上げて

休みの日でも勉強に追われ、息抜きもできなければ自由な時間もない

そんな生き方を続けていくうちにいつのまにか「何1つ楽しいことがない人生」になって必然的に死にたくなっていきました

自分がやりたいことではないことに自分の人生の時間を費やしているのであればそれを手放すべきです

それが自分のためではなく誰かに褒められたりすごいねと言われるためにしているならなおさらやめるべきです

人からすごいと思われて、それが何だというのでしょうか

他者からの評価ほどあやふやなものはありません

人からの評価のために生きることは自分の心を置き去りにする生き方です

自分の意思でやっていることではないのならさらっと手放してしまいましょう

手放すことで時間が生まれ、その時間で自分の好きなことができたら素敵だと思いませんか?

死にたさは本当に好きなことをやる人生にシフトをすることで少しずつ和らいでいきます

ちなみに私はTOEICの勉強を手放し今は大好きなゲームをしたり読書に充てています

私は小学生の頃から勉強に囚われていたので家にあったテキストや参考書を思い切ってすべて処分しました

人生は楽しむためにあったよね、とシンプルだけど大切なことを思い出せました

今は配信とドラムとダンスをやってみたいな、と思っています(*´ω`*)

やめたことその6:ダイエットをすること

やめたこととして効果があったものの中にダイエットがあります

死にたさを抱えながら何かを頑張るのはかなり難しいこと

だでさえ頑張ってキャパオーバーを引き起こしているところに食の制限やコントロールを増やすのは食べることが生きがいであったり幸せを感じる人にはおすすめできません

甘いものを食べると幸福を感じるという事実もありますからお手軽に幸せを感じられる行為に制限をかけるのは心が元気になってからで十分です

また、ダイエットがうまくいかないとストレスがかかって逆に暴飲暴食に繋がることもあります

死にたいと感じるまで追い込まれた状況でさらに負荷を増やすことのないようにしましょう

好きなものを好きなときに好きなだけ食べられるって幸せですよ

やめたことその7:自分より人を優先する

些細なことからでも構いません

人のことを優先して自分の気持ちを無視することをやめていきましょう

例えば「何食べたい?」という会話になって本当は食べたいものがあるのに「あなたの好きなものでいいよ」とか

帰りたいけど友達がまだ遊びたいというから「私もまだ帰りたくなかったんだよね!」と合わせて疲弊するとかね

なかにはもっと大きな事柄で自己犠牲を払い、周りの幸せを優先した人もいるでしょう

自分の意見が相手と違うことを「修正しなければ」、と考えなくていいのです

自分のことをないがしろにするから自分の不満が溜まって「こんな人生なら生きている意味ってあるの!?」ともう1人の自分がパニックになるのです

そもそも、みんなが自分自身を満たし幸せにできていれば、誰かが誰かを幸せにしなければいけない、なんてことは起こらないのです

誰かが幸せでないことをあなたが背負わなくていいんだよ

どうか自分を幸せにしてあげてくださいね

それが周りにとっての幸せにも繋がっていきます

死にたいを思い出せなくなるまでに「やめたこと」まとめ

  1. 親にとってのいい子でいること
  2. 要領のいい人と比べて「あの人と比べて自分は今までなにをしてきたんだろう」と焦ること
  3. ちょっと心が不調になったとき、すぐに病気なんじゃないか?病的なものなんじゃないか?と物事を深刻にすること
  4. 休養=1日中横になって休むことだと考える
  5. 世間の「〇〇しないと大変なことになるぞ」という脅しに掻き立てられてなにかをしたり誰かのためになにかをする
  6. ダイエットをすること
  7. 自分より人を優先する

取り組めそうなものからで構いません

上記のことをやめるだけで生きやすくなり、「死にたい」から離れることができるようになります

死にたいと思わなくなるなんて自分には無理だ、と思う方もいるかも知れませんがその思考こそ希死念慮にコントロールされている証拠でもあります

強い言葉になりますが希死念慮に殺されるのではなくこちらが希死念慮を殺す、という考え方をしていきましょう

読んでくださってありがとうございました!

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